あしもと、みつつ…

はじめまして。古書城田の女将です。


先日、若松図書館で開催されていた「山福朱実ヤマネコ毛布原画展」へ行ってきました。大好きな絵本の原画に出会えて素敵なひとときを過ごしました。そのあと、市内各地のあるものの写真を撮る為に北九州を横断してきました。今日はそのお話を。写真を撮りに行ったあるものとは…


マンホール。


道路で必ず見かけるこれに「北九州」が生れる前の記憶が刻み付けられていて面白いのです。どういうことかといいますと、「北九州市」ができる前、「小倉市」「八幡市」…と、それぞれ5つの市だったころのシンボルマーク(市章)が刻印されているものが、わずかですが残っているのです。


まず戸畑市
石炭の積出港だったからでしょうか?「戸」の横棒が石炭を掘るのに使うツルハシのように見えます。もしそうだとしたら、街の特徴がよく出たマンホールですね。




渡船で若松市
これを探すのは大変でした。今まで探しても全く見つけられず諦めていましたが、やっと見つけた!消火栓のフタ。錆びて見えにくくなってますが、カタカナで菱形にデザインされた「ワカ」と、周りの「松葉」で、若松。「ワカ」が逆になっているのが時代を感じさせます。







電車で洞海湾をぐるりまわって八幡市
八つの旗(国旗)でヤハタ。ゴロ合わせというか、ギャグというか、面白い。工業を表す歯車にも見えなくはない??





鹿児島本線で一気に門司市
「門」の字が海峡の波しぶきのように見えます。中央にはイカリ。港町らしい。





バスで海峡の夕陽を眺めつつ、小倉市
ここでついに恐れていたことが!過去に見つけた小倉市のマンホールが新しいものに取り替えられてました…小倉市マンホール、今までお疲れ様…。
これらは前に別の場所で撮っておいたもの。現役で頑張ってるかなぁ。
小倉は商業も盛んでしたから、「小」の字はそろばんの珠をデザインしたのかな?と思って後日図書館で調べてみました。小笠原藩の家紋からとったものだそうです。




マンホールではないけれど導水管も小小小…





個性豊かな5つの街が合併して北九州市が生れたのが1963年。これらのマンホールはそれ以前に作られた、ということになりますから、かれこれ50年近く足元から街の行く末を見守ってきたということになります。



こんなにすり減って刻印が消えかかりそうな年期モノも!!



踏まれても踏まれても耐え忍ぶ姿は九州男児の風格さえ感じさせます。



現在のマンホールは北九州市のシンボルマーク「梅に北」の刻印がされているものと、シンボルフラワーのひまわりがデザインされているものが大半ですが、この刻印が薄れかかる頃、北九州はどんな街になっていることでしょう。





9月16日追記

旧市章のいわれ、起こりについて文中に書きましたが、人からの伝聞や憶測の域を出ないまま解説してしまいました。正誤の不明な情報を伝えてしまいましたことお詫び申しあげます。該当する文章を訂正致しました。今後正しい情報でブログをお届けできるよう気をつけます。


(古書城田女将)